「悪魔くん」は時代の鏡となり変化し続けてきた作品です。
原点である貸本の書かれた時代から数年後、特撮番組になる際その時代にあった「悪魔くん」をと、わざわざ貸本とはまったく違うマガジン版が描かれたそうです。
ここで面白いのは主人公の本名も設定も一新、従者の悪魔の設定も違うという点です。
普通、名前(本名)くらいそのまんま使ってもおかしくないと思うんですけどね。
結局引き継がれた設定は、主人公は「悪魔くん」と呼ばれていること、天才児だということ、ファウストの師事によって悪魔を呼び出す術を手に入れ悪魔をひとり従えること。悪魔の力を利用して平和な世界を作ろうと考えていること。
でも、「悪魔くん」と呼ばれる少年は以前の作品とは別の存在。
先生はきっと直感だけでそうしたんだろうな、と勝手に想像しているのですが、これって地味にすごい事だと思うんですよ。
その子供自体の本名とか、生まれ育ちとかはどうでもいいんですよ。
あるひとりの少年が「悪魔くん」であるということが作品の全てなんですよ。なんという全肯定。
貸本から特撮実写(マガジン版)の間で「悪魔くん」の人物設定変更が行われたお陰で、次のアニメ版で新たな「悪魔くん」が誕生する事はある意味当然というか、予測範囲内の出来事だったと思います。20年以上経っているんですから、その時代にあった「悪魔くん」を、という感じで。
1度特撮実写化されていたお陰で、私個人的には水木先生自身の手以外で生み出される事に対してほとんど抵抗感なく、新しい設定と展開にスッと入り込めました。それはアニメスタッフの才と腕の良さによる処が大きいとは思いますが。
貸本(松下)、特撮実写(山田)、アニメ(埋れ木)と3名の「悪魔くん」に悪魔を呼び出す呪文とソロモンの笛を託すファウスト博士の存在と魅力はここで語ると話が逸れてしまうので省略します。ドラマチックだよなぁ、RPGっぽいよなぁ「選ばれた勇者よ~」的ノリで、とか色々。
アニメ版は一旦全ての「悪魔くん」の要素を詰め込んだある種「集大成」作品です。
別シリーズの「悪魔くん」を読んでいる人にはニヤリとさせるようなエピソードやキャラクターがてんこ盛り。 正直、ズルイ作品だと思います。ズルイだけでなく、アニメ版オリジナルの要素やキャラクターもとても魅力的でした。内容も大きく破綻する事もなく綺麗に終わった非常に良い作品で、万人にお勧め出来るタイトルだと思います。
…アニメ版が製作された頃から、漫画作品の方も原案やシナリオ協力など、先生以外の存在が作品を構築し始めます。
どこまでが協力でどこまでが原案でどこまで先生が携わっているのかいないのか浅いファンの私には全く判りませんが、個人的には非常に面白いと感じます。
実質、水木先生自身の手による「悪魔くん」は貸本版でほぼ完成してしまっていますよね。
千年王国は先生自身の手による「リライト」、
マガジン版は、特撮実写版のために描かれた「タイアップ」の色が濃いように思います。
(昔の作品なので水木色も濃いですけど)そしてそれを肯定したいと考えます。
幾度となく「悪魔くん」を望む声と時代が存在して。
それらが先生以外の要素として作品に加わって。
その時代を映す鏡となって新たな「悪魔くん」が誕生する。
声に求められ、また望まれずとも時代と共に変化する…以下エンドレス。いやエンドレスは嘘ですが。
変化していく様が面白く楽しめる、楽しみたい作品。
その最新の、そして現時点最終進化形が「ノストラダムス」だと考えているのです。…事実、一応最新作ですし…。
正直、「悪魔くん」としてどうなのよ?と多々ツッコミ入れたくなる作品ではありますが。
他作品とは明らかに違う異質っぷりというか、脇の甘さというか、トンデモ&酷すぎっぷりというか、コレどうしようか…と思うような作品ではありますが。
すみません、そこがむしろ大好きなんです。
先に列挙した点全てチャラに出来るくらいトンデモ面白かったので仕方がないんです。
そういう意味では「私は水木しげる先生のファンです」 とは宣言しきれません。
いえ勿論好きなんですが。一番好きな作品に「ノストラダムス大予言」を挙げてる時点で失格な気がします。何となく。